歯科界の常識を変革し続け 社会的財産を目指す 大木歯科医院
【憧れと衝撃から始まった歯科医への道】
歯科医師を目指したきっかけは、幼少期に抱いたブラックジャックのようなスーパードクターへの憧れと、煌びやかに見えた歯科界への羨望でした。高校時代には、歯科医のご子息が同級生にいたり、近所のお姉さんが歯科医院で働いていたりと、歯科医療を身近に感じる機会が増えました。特に、隣の家のお姉さんが勤務する歯科医院の院長がポルシェやベンツを所有していたことに衝撃を受け、「歯医者ってすごい!」と感じたことが決定的でした。ただ、子供の頃は学業では目立った成果を出せず、運動会でしか活躍できておりませんでしたので、高校卒業後は予備校にストレート合格となりました。サラリーマン家庭に生まれ育った私にとっては数千万円の学費がかかる私立大学進学という選択肢はありませんでしたので、歯科医師の夢を叶える方法は卒業までの学費が200万円に抑えられる国立大学一択でした。両親への申し訳なさから、子供貯金を予備校の入学資金にあて、1年間の浪人生活を経て国立徳島大学歯学部に入学することができました。
学生時代は近所の成功者から受けたアドバイス「みんなができないことをやるか、みんなができることをたくさんやるかのどちらかだ」という助言から「いつか、みんなができないことをいっぱいやろう!」と考えていました。常に特殊技能を持つ方や自分にはない知識経験を持つメンターを求めて大学で知識と技術を学ぶ姿勢を貫いておりましたが、私の歯科医師としてのスタートは苦難に満ちたものでした。第二次ベビーブーマー世代ということもあり、ポルシェどころか、就職を希望した就職先にもなかなか就職できず、歯科医師になってからも能力不足から仕事を解雇されるといった苦い経験を繰り返しながら、プロフェッショナルは結果で判断されるということを学びました。「何が何でも顧客満足を生み出してみせる!」と心に誓った研修時代でした。
さらに苦難は続きます。
歯科医師としてのアルバイトを解雇され自信喪失して地の底にまで叩きのめされている状況の中、結婚を考えていた内科医の彼女の両親への挨拶という大きな壁が立ちはだかります。地元の中学高校をかなり優秀な成績で卒業しストレートで国立大学医学部を卒業するお嬢さんをお嫁にもらうために、いかに信頼を得るのか?全力で考えて結果、数年後の事業計画、家庭、住宅、老後の計画まで、詳細なライフプランを作成し、プレゼンすることが最善策と考え、情報を集めてプレゼンに臨みました。後日、このプレゼンに対する評価を家内経由に間接的に確認したところ、未来設計を語ることに力が入りすぎて、「お嫁にください!」という肝心のフレーズを忘れておりました。因みにプレゼン前日には、想定外の義父からカラオケの審査を受けるという試練がありましたが、全力で歌って乗り越えました。
勤務医時代は浪人時代同様、自分自身のスキルアップに自己投資を続けていたため、27歳の夏、総資産は3000円弱でした。インプラントや矯正治療といった特殊スキル習得のために全力投球の日々を続けました。あと、急な勤務先の分院長の退職後のサポート役を入職後半年で名乗り出てマネジメントスキルの向上にも努めました。兼業農家家庭に育った私に圧倒的に欠けているのはマーケティング&マネジメントスキルであると認識しておりました。臨床スキルと同時に経営スキルの習得に対してもかなり貪欲に取り組みました。自分自身のスキルアップにかなり前のめりになれたのは、結婚前の家内のご両親の前で行った人生設計プランを達成する責任感からということもあります。
【実父をスカウト、義両親へのプレゼンを経て夢を叶えた開業】
7年間の勤務医時代を経て32歳のとき、サラリーマンだった父を「一緒に歯科医院を経営しよう」と誘い、医院の開業準備を進めました。父にはカーナビ、デジタルカメラ、ノートパソコンをプレゼントしたところ、父は独学でパソコンスキルを身につけて医院の建物のデザインに至るまで担当してくれて驚きました。
診療以外の業務は父が事務長として分担してくれたおかげで、開業準備はスムーズに進行。毎年利益を再投資して、毎年増員と増改築を繰り返し最新設備の導入を今日まで続け、常にアップデートを図っています。家族の支えがあったからこそ、私の夢は現実のものとなりました。
【患者様に寄り添い、地域社会に貢献する歯科医院】
開業に際し、「歯医者=怖い」というイメージを払拭するため、デジタル技術を駆使し、患者さんに口腔内の状態を画像で見せることで、納得のいく治療を提供することを目指しました。この考え方は今も変わらず、20年以上にわたり、設備を改善し続けています。それ以外でも、痛みや恐怖を感じさせない治療を徹底しています。小さな子どもから「痛くなかった」「怖くなかった」と言われたとき、自分の理想の治療を実現できていることを実感しています。
三重県でも世界基準の歯科医療をご提供できることを目指し55歳になった現在も国内外の学会や研修に参加しデジタル・AIを活用した臨床や経営に取り組んでおります。
2025年の現在、日本社会は超少子高齢化時代に突入し労働力不足問題や年間2万人以上の方が人生の最後を誰にも気付かれることなく孤独に人生の幕を閉じているという問題に直面しています。こういった問題に対し、歯科界はオーラル フレイル(口腔の衰弱)というコンセプトを打ち出し、しっかり噛める口腔機能を維持改善することで身体機能を守り、噛めなくなることによる認知障害リスクの低減や、更に、寝たきり〜独居老人〜孤独な人生〜孤独死といったスパイラルを予防していこうとしています。
現在大木歯科医院は社会にとってなくてはならない存在「社会的財産となる!」ことを医院理念に掲げています。人生最後の瞬間まで心も体も健康な状態、すなわち健康寿命を伸ばすために、しっかり噛んで思いっきり笑える美しい歯をご提供し、豊かな人生をサポートする医療を他職種連携にて構築する取り組みに励んでおります。
「強くなければ優しくなれない」という恩師の言葉を胸に、今でも学びを通じて強くなる努力を続けています。医院の医業収入とは世の中にどれだけ価値を提供できているかの証であると考えていますので、23年間、右肩上がりの成長を続けられていることを誇りに感じています。
【ピンチはチャンス、学び続けて挑戦し続ける】
経営では、ピンチをチャンスに変えるチャレンジを常に意識しています。コロナ禍で多くの企業が苦境に立たされる中、当院は感染症対策は勿論のことデジタル化を加速させ、クオリティを向上させました。チャレンジの一環として、コロナ禍の2022年に近鉄四日市駅前の一等地に分院を開設するという大胆な決断をしました。当時は不安もありましたが、コロナ禍ゆえに駅前の一等地を確保できたわけですし、当院にとって大きなターニングポイントだったと振り返っています。少子高齢化による人手不足という社会課題にも、AI技術を活用し、生産性を向上させることで対応しています。変化を恐れず、チャンスを掴むことで、社会に貢献し、地域の皆様に必要とされる存在であり続けたいと考えています。
【物心両面の豊かさに繋がる人材育成】
人材育成においては、「万人の共通項は幸せになること」という理念のもと、物心両面の 豊かさを重視しています。物質的な豊かさを得るために上質な価値を生み出せるプロフェッショナルスキルの向上を支援し、精神的な豊かさのために人間的な成長、視座視点の高い人、長期視点で物事を捉えて考えることができる人になる事を重視しています。
採用では、「社会的財産になる」という理念とともに、一緒に働く目的「仕事観」1、自分の成長のため 2、顧客満足のため3、医院の発展のため これらに共感できる人材を求めています。
【これからの大木歯科医院】
これからの超少子高齢化時代を支える主役は歯科であると考えています。
今後の目標は、世の中への価値の提供の結果としての売上拡大と社会課題の解決、そしてAIの活用による地域社会への貢献を強化することです。5か年計画では事業規模を2倍にすることを目標とし、組織の充実、更なるデジタル化、AIの活用を推進します。東海地区において、四日市から名古屋方面へ1~2年に1院のペースで新規開設を計画しています。また、AIを活用した臨床や経営に取り組んでいます。
今後AI活用が本格化すると見込み、2025年から幹部スタッフ向けにAI学習塾を毎月開催し、知識を深めています。「社会の問題を解決することが仕事」という信念のもと、歯科医療の枠を超えた事業展開も視野に入れ、地域社会に不可欠な「社会的財産」となることを目指しています。これは「あなたに会えてよかった」と言われる存在になることを意味します。
過去の採用の成功事例として、20年前に勤務医を2人同時に採用したことが大きな転機になりました。また10年前に、事務局のスタッフを増員しWEBマーケティングの強化に取り組んだことで、事業規模が更に拡大しました。今後も歯科医師、歯科衛生士は勿論のこと、デジタルマーケティング人材などの経営幹部人材も積極的に採用していきたいと考えています。